N響ゴールデン・クラシック2019

4月28日、「N響ゴールデン・クラシック2019」を聴きに行った。副題に「ロシア音楽の真髄と清水和音のラフマニノフ#2&#3」とある。指揮はドミトリー・リス。先述の通り、ソリストは清水和音(以下敬称略)、演奏はN響。

曲目は、

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
リムスキー=コルサコフ:ロシアの復活祭 序曲
ストラヴィンスキー:組曲『火の鳥』(1919年版)


副題にある「#3」は翌日の演奏であり、残念ながら2日連続で聴きに行くことは叶わなかった。

演奏会に先立ち、お茶の水に立ち寄って、ニコライ堂を覗いてきた。この日は正教の復活祭当日。リムスキー・コルサコフの「ロシアの復活祭 序曲」の予習を名目に、好奇心を満たして来た。(笑)

閑話休題。演奏の幕開けはラフマニノフ。いきなりの大曲に些か面喰ったが、すぐに聴き入った。清水のピアノが、力強くも柔らかい音色を奏でる。オケの演奏はおおらかであり朗らかに響く。この二つが相まって、春の日差しを感じるような、独特の空気が醸し出された。それにしてもこの曲のメロディーは美しい。

盛大な拍手にこたえ、アンコールは、リストの『巡礼の年 第2年 イタリア』から「ペトラルカのソネット104」。この曲でも清水の力強く柔らかい音色を堪能できた。こちらにも盛大な拍手が巻き起こった。

休憩を挟んで、次の「ロシアの復活祭」は秀逸だった。祝祭と春の訪れを喜ぶ民衆の姿が、手に取るように見えるような素晴らしい演奏。トロンボーン・ソロは、司祭(と言うのかな?)の声であろう。歌うように進められる正教の儀礼が、ロシアの音楽の低層に根付いていると再認識。この曲だけでも、聴きに行った価値があったと思う。勿論、万雷の拍手。

「火の鳥」もまた素晴らしかった。繊細で美しい「王女たちのロンド」と火の鳥が飛び回るような「凶悪な踊り」、消え入るかのような「子守歌」のppとfx5以上(笑)の「終曲」等、各所の対比が面白かった。勿論、生の迫力ある音を堪能できた。

聴き入りながらも、文化的な背景の表現に対する影響を考えた。先述の対比ができるように、リスの指揮からは一神教的な二元論(神・非神、正邪等)を感じる。というのは、先日山下一史指揮の千葉響でこの曲を聴いた時の様な、「妖気漂う異界」を思わせる「おどろおどろしさ」や「怪しげな気配」をあまり感じなかったからである。(バイオリンやコントラバスにはその気配が少し感じられたが・・・)これは「神でもなければ、悪魔でもない、そして人間でもない」、そう妖怪の様なものを受容れる多神教的な日本の文化と、そのような余地のない一神教的な文化の違いによるのではなかろうか。話はそれるが、日本で怪獣映画があれだけ制作されるのも、そんな文化的背景と無縁ではなかろう。

こんなことを長々と書いたのは、演奏に優劣をつける為ではない(ましてや、文化の優劣などとんでもない)。和食だろうが洋食だろうが、「美味いものは美味い」し、美味いものは食いたい。ただそれだけの話である。音楽に発現する夫々の文化の差異を楽しみ、それを味わいたい。

大分話が逸れてしまった。演奏会に話を戻そう。「火の鳥」も万雷の拍手が会場に響いた。そして、アンコール。リスが指揮台に登りきる前、まだ拍手が残る中、ファンファーレが始まる。イントロクイズではないが、「オネーギン」の「ポロネーズ」とすぐ分かった。チャイコフスキー好きには、嬉しいサプライズ。弾むような美しく明るい旋律に、こちらの心も弾む。実は、アンコールがあれば「ルスランとリュドミラ序曲」かと何となく思っていた。(「ロシアの復活祭」の所為か?)曲が終わると、勿論客席は大喝采。

自分にとっての「平成最後」の演奏会を、十二分に堪能できた。ロシア料理のフルコースに満腹。否、まだまだいくらでも食えたと思う。(笑)

清水和音さん、ドミトリー・イリッチ、N響の皆さん、素晴らしい演奏をありがとうございました。

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